2009年7月 8日 (水)

Prove It All Night (Bruce Springsteen)

1978年のアルバム「Darkness on the edge of town」に収録されている曲。「スプリングスティーンの曲の中で最も好きなものを1曲だけ挙げろ」と言われたら、私はこの曲を挙げるだろう。アルバムとしてもこのアルバムが一番好きだし、回数も一番聴いているような気がする。アルバムはタイトルが示す通り、希望に満ち満ちたロックンロールは少ない。多くの曲は苦悩の中で光を探す主人公を描いている。

このアルバムの前のアルバムは、あの大ヒットアルバム「Born to run」。次のこのアルバムが出るまでに約3年掛かっている。さすがのスプリングスティーンも相当のプレッシャーがあったのか?と思いきや、裁判沙汰に巻き込まれていたのだった。アメリカではよくある話で、マネージャーとの金銭トラブルが勃発していたとのこと。騙されたのはスプリングスティーンだったのだが、戦いの末あえて敗訴という形で自由を取り戻し活動を再開。契約に関わる裁判だったため、契約の主軸とも言うべき新譜のレコードは最もタブーなものであったのだ。

このアルバムの参加ミュージシャンは前作とほぼ一緒。ギターは全編スプリングスティーン本人がプレイしている。日本ではソロ・アーティストがレコーディング・ミュージシャンであることはなかなか成立しないのだが、そんな当たり前のことを70年代にやれてしまっているアメリカという国のポップ・ミュージックの懐はやはり深い。尤も日本でも最近はそういう人が増えてきていると思うが、70年代当時を比べて考えるとその差はあまりにも大きい。それはきっと、ポップ・ミュージックそのものの歴史の違いなのだろう。

スプリングスティーンのギタープレイは、ギタリストを目指す少年たちが好むようなテクニック満載のものではないかもしれない。所謂「ギタリスト」然とした感じではないだろう。しかしそれには「声」があるような気がする。歌と同じく様々な感情があるのだ。それを表現出来るのはやはりソングライターであるからで、それがスプリングスティーンの歌の魅力のひとつになっているのは言うまでも無い。サウンド云々の前にあるのは「歌」。そのメッセージの肉付けのひとつにギターがあるということなのだ。

今もなおこの曲では変わらずにリードギターを披露するスプリングスティーン。その迫力はテクニックを超え、我々の心に突き刺さる。この曲を心の支えにしている人は今も少なくないだろう。

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2009年7月 6日 (月)

P.S.抱きしめたい (稲垣潤一)

1986年のアルバム「P.S.抱きしめたい」に収録されているタイトル曲。このアルバムはベスト・アルバムで、タイトル曲のこの曲のみが新曲という扱いだったと記憶している。その後この曲は代表曲のような雰囲気を持つものになったが、元々がベストアルバムの中の目玉の新曲だったということで、オリジナル・アルバムにもシングルとしても収録されていないという特異な経緯を持つ代表曲になった。

この曲の詞は売野雅勇氏、曲は林哲司氏。80年代の黄金アイドル路線のような感じもするが、それはやはり大御所。素晴らしい仕事をされていらっしゃる。あの時代は仕事としてアイドル物をやらなければならなかったのだろう。しかしここでは「ボーカリスト」の作品ということで、力の入り方が違ったのではないだろうか。やはり生業とはいえ、少しでも残るものをやりたいというのはアーティストの本能だろうから。

稲垣潤一氏の曲の特徴と言えば「転調」。転調しない曲は無いのではないかと思うくらい転調する。この曲も例外に非ず。Bメロからサビへ向かう転調はとても美しい展開だ。突然転調するのも有りだが、本当のテクニックはスムーズに転調することだと思う。こうした世界を歌い上げられるのはやはりアイドルではない。「稲垣潤一」という世界をイメージして作った職人たちの楽曲を、「稲垣潤一」というシンガーが歌って初めて完成する世界なのだ。

そして詞の世界。潔くとはいかないまでも、相手の幸せを祈りつつ身を引く男の心情は、その後もその世界を数多く歌う稲垣さんらしい曲である。そうした言葉の背景には「80年代」という時代の空気を感じることも出来る。それは良くも悪くも「優しさ」を求められた男達の立ち位置。この2~3年後のバブル絶頂期には、それが「アッシー君」「ミツグ君」といった屈折し限りなく軟弱になったキャラクターに変化するのだが、この歌にある、今にしてみれば優柔不断を優しさと勘違いした少々ヒロイックなナルシズムが当時の男性像を雄弁に語っているように思う。それが実際のところかどうかはともかく、少なくともそうした風潮があったのは確かだろう。尤も、考えてみれば「俺について来い!」的な男性像は昭和30年代くらいのもので、現在も含めて男とは結構軟弱だったりするのかもしれない。それをストレートに歌ったという意味では、この曲は非常に強い歌であるとも言える。

この曲のような恋愛体験が無くても、聴いただけで切なくなってしまうのは必至だろう。しかしこれが余りに現実臭くなると、感動よりも痛みの方が強くなる。現実と空想との間を行ったり来たりするのが優れたエンターテーメントなのだ。私も何だかんだ言っても、この曲を聴いて若き日の恋を思い出したりもしなくもない。甚だ軟弱である。しかしそれは決して後ろ向きなものではなく、こうした曲によってかつての恋が美しく思えたりもするのである。本当は若き日の自分など恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものだったりするのだが。しかし、そうした感傷に浸れるのも歌の魔力。そんな映画の主人公のような感傷もたまには良いのではないだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=2STquNcIcBw

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2009年6月24日 (水)

核~Core~ (尾崎豊)

1987年の12インチ・シングル曲で、1988年のアルバム「街路樹」のオープニングを飾る曲でもある。アルバムではシングル・バージョンを基本にリアレンジされ、ボーカルも新たに録り直されている。今の若者に「12インチ・シングル」などと言っても解るはずも無いだろうが、簡単に言うとLPサイズの45回転レコード盤。それであれば通常の7インチシングル盤よりも収録時間を長く出来るというわけなのだった。80年代中盤は12インチ・シングルが大流行し、わざわざ「○○ミックス」などというものを作るアーティストが多かった。しかし尾崎豊の場合は事情が違う。単純に1曲が長かったためにそうせざるを得なかったということのようだ。この曲もシングルでは9分以上あったと思う。

今にして思えば、尾崎の10代の頃のメッセージは良くも悪くも時代を反映した、非常に満たされた時代の叫びでしかなかったのではないだろうか。もちろん個人では苦しんでいたとしても、それが本当にアジテイトするべきものだったかどうかは疑問である。幸せであるが故に見える不満は、必要以上にその陰を色濃く見せるもの。尾崎の痛烈だったメッセージも今となっては精彩を欠き、温度差を感じてしまうのは事実だ。それはやはり時代の問題なのかもしれない。音楽に限らず、全ての面において80年代とはそれまでとも現在とも、そして今後とも違うであろう非常に特異なものであったということなのだろう。そういう意味で彼の作品の本質は、本人が大人になってから自身が判断するべきものだったと思う。それが既に叶えられないものであるというのは非常に残念なことである。

しかしこの曲は違う。この滅茶苦茶な破壊力は今もなお聴く者を驚愕させるだろう。「小さな叫びが聞こえないこの町では、反戦や反核など無意味だ」というフレーズは素晴らしい。私も常々そう思う。極論すれば、小さな犯罪の芽を積み重ねたものが戦争に辿り着くというわけ。社会的規範が希薄だったり、モラルの低い精神構造は要注意だ。突き詰めれば、タバコのポイ捨ての行き着く先は戦場なのである。

この曲は「核」という日本語タイトルであるが、「Nuclear」ではなく「Core」というところが尾崎らしい。自分にとっての「中心」。このシングルがリリースされた直後に覚醒剤所持で逮捕された尾崎。使っている真っ最中だったのか知らないが、シングルでのボーカルは荒れに荒れて酷すぎる。がしかし、それがこの曲の世界を引き出しているから皮肉である。その後のアルバム・バージョンでは丁寧に歌っており、音楽的になった分だけ破壊力が少々失くなったような気がする。この曲の最大の魅力は説明のつかない壮絶なパワーと狂気なのだ。悩める若者の原点はそこにあるように思う。大人になるということはそれをひとつひとつ昇華するということ。解ったようなフリをして生きてゆくのも方法論のひとつ。しかしそこにもまたドラマがある。尾崎亡き後、その後の狂気を歌う人がいなくなってしまった。それはいわゆる「アラフォー」と呼ばれる尾崎世代のアーティストの役目なのではないだろうか。

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2009年6月19日 (金)

The Long Run (Eagles)

1979年のアルバム「The Long Run」に収録されているオープニング曲にしてタイトル曲。この曲がオープニングを飾るというところにバンドとしての大きな意味があり、揺らがざる決意があるように思う。

「人生はまだまだ長い 焦らずじっくりいこう」と軽いタッチで歌われる内容とサウンドは、明らかにデビュー曲「Take It Easy」の「心配するな 気楽に行こう」を意識したアンサー・ソングであると言える。何を今更誰にその答えを歌っているのか。それは間違いなく、自分たち「イーグルス」というバンドに対してのものだろう。

イーグルスはカントリー・ロック・バンドとしてデビューし、その後ポップな要素をふんだんに取り入れたアメリカン・ロックに変わっていったという認識は正しいと思う。それ故に商業的に成功し、数々の栄光も手にしてきたのだ。しかしそれが本当に正しかったのかどうか、メンバーには迷いのようなものが常にあったのではないかと思う。

音楽が好きで成功を夢見てバンドを作り、大物アーティストのバック・バンドを経て自分達の城を築き、結果として多くのリスナーが自分達の音楽を受け入れてくれた。しかしよくよく考えてみると、成功したものは自分達がやり始めた音楽では無かったのではないか。もちろん嫌悪感は無いにしても、どうにもならない居心地の悪さと何か違うような感覚。3枚目のアルバム「On The Border」辺りからイーグルス(特にドン・ヘンリー)はその辺りの感情ばかりをテーマにしてきたように思う。

そういう意味ではこの曲はひとつ抜け出た感覚だ。それまでの重たく暗いテーマとは違う展開であり、「1969年以来切らしてしまったスピリッツ」を再び探しに行こうという風にも取ることは出来る。しかしこのアルバムで事実上解散してしまったバンドの実体を考えてみると、この曲は明るい希望ではなく、全てに対する諦観なのだと気付く。引きつりながらも笑顔で別れを告げている哀しい男の歌なのだ。その認識はドンだけでなく、グレン・フライもきっと同じだったはず。結成時からのメンバーはドンとグレンのみになっていたから。プロとして活動する以上は商業的な結果を求められ、そこで出した答えに聴衆は反応する。とりあえず出さなければいけない結果に翻弄され、自分達とは少々違う所でイメージが作られたこともあっただろう。そして遠く離れた幻影を見てリスナーは「あぁ、イーグルスだ」と認識する。自分達が作った音楽が必ずしも自分達らしいとは言えない事実。それに成功した数字が被さり、イメージは更に増幅していく。

この曲はそんな自分達に対する訣別の曲でもあるのだろう。仕事として音楽をやる以上、誰もが感じるジレンマ。しかしそれが強力なアーティスト・イメージにもなってしまった皮肉。イーグルスは決して陽気なウエスト・コースト・ロックではない。人生に苦悩する青春の実況中継だったのである。

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2009年6月16日 (火)

Heart in Pieces (Chicago)

1988年のアルバム「CHICAGO19」のオープニングを飾る曲。すっかりバンドの顔となったジェイソン・シェフがリード・ボーカルを務めるロック・ナンバー。再スタートとなった前作「CHICAGO18」も大ヒットし、この頃にはピーター・セテラは完全に過去の人になった感すらあった(もちろんそれはシカゴ的に、の話)。しかし、古くからのファンにとっては相変わらず同名異バンドだったのかもしれない。

このアルバムからプロデュースはデヴィッド・フォスターではなくなっている。彼は80年代のシカゴを語るには欠かせない人物。シカゴを再生させた立役者である。そのデヴィッドから離れて制作したアルバムは、80年代のあらゆるエッセンスを詰め込んだポップ・ロックの集大成であると言えるだろう。

その甲斐あってか、このアルバムからシングル・ヒットが何曲も生まれている。この曲はシングルにならなかったが、そのキャッチーさはシングル向きだ。当時のシングル・ヒット・チャートに紛れ込んでいても何ら遜色無い。考えてみれば、セールス的にはこのアルバムが一番売れたアルバムだったのかもしれない。ということは、オープニング・ナンバーであるこの曲がシカゴのレコード(CD)の中で一番聴かれていた曲ということになる。

しかし、それイコール代表曲ということでは無いのである。今でも一般的にシカゴというと「Hard to Say I'm Sorry」だったり「25 or 6 to 4」だったりするから。数字的なものとアーティストのイメージは必ずしも合致しない。どんなに数字が勝っていても、それ以上の記憶に残る楽曲というものがどのアーティストにもあるもの。そのイメージと闘うのもアーティストの仕事のひとつなのである。それを超えようとする想いがあるからこそ、更に素晴らしい曲が出来上がってくるという訳だ。

この曲はティム・フィーハンとブライアン・マクレオドのソング・ライティングに依るもの。サウンドは80年代後半らしいガチャガチャした雰囲気。バンドの色よりも良くも悪くも時代の音を感じる。今聴くとちょっと疲れるかもしれない。デヴィッド・フォスターの影を吹っ切ろうとするパワーは感じるが、それ故にバンドの特徴がよく判らないのも事実。考えてみれば、デヴィッド・フォスターの色が強かった時点でバンドの色を感じられないということなのではあるが。この曲は悪くないしこのアルバムも悪くないのだが、シカゴというバンドのそれまで辿ってきた道程を考えると、「ここからどこに行くのだろう」という感じがあったのは正直な感想。

この時代にセールスの頂点を極めたシカゴ。しかしそこからバンドの苦悩が始まるのであった。

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2009年6月11日 (木)

Time (McAuley Schenker Group)

1987年のアルバム「Perfect Timing」に収録されているバラード。このグループ名を見て「おや?」と思った人もいるかもしれない。MSGはMSGでも、この時期は「マイケル・シェンカー・グループ」ではなく、「マッコーリー・シェンカー・グループ」と名乗っていたのであった。マッコーリーとはボーカルのロビン・マッコーリーのことである。ボーカリストを全面に出したかったということなのだろうか。

この時期のMSGは従来のマイケルファンには非常に不評だったらしい。「マッコーリー・シェンカー・グループをMSGの歴史に加えるな」というファンも多いらしく、この時期を抹消している人も少なくないとのこと。ファンとしてのその気持ちは判らないでもないが、私としてはこれはこれで結構好きなのである。

では何故に不評だったのか。それはイメージでも何でもなく、「音」そのものの大きな違いだろう。この時期の音は紛れもなく80年代のハード・ロック・サウンド。LAメタルと呼ばれたあの辺りの音に近い。ホワイト・スネイクやデフ・レパードのような感じというと判り易いだろうか。それは初期のMSGやUFO時代のマイケルの音とは大きく異なっているということ。そこが熱烈なファンにとっては許せなかったのかもしれない。

しかし先程も書いたが、私としては結構好きなサウンドである。どう聴いても「80年代!」というサウンドがたまらない。スネアのリバーブやコーラスの雰囲気、ギターの音色もあの当時もてはやされていたサウンドそのまま。こういったパワー・バラードは当時の主流だったはずで、この曲にも大ヒットの可能性があったのではないだろうか。そういったビジネス上の理由でグループ名を変えたのかもしれない。「マイケル・シェンカー」では色が付き過ぎるくらい付いてしまっているから。

この曲が1位にでもなっていたら、MSGの歴史は大きく変わったのだろう。そこにいかなかったのは良かったのか悪かったのか。この時期を敬遠していた人も、今聴いてみれば新鮮に思えるかもしれない。

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2009年6月 8日 (月)

The Sound of Silence (Simon&Garfunkel)

言わずと知れた名曲。1966年の大ヒット曲である。もちろん私がリアルタイムで知るはずもないのだが、この手の名曲を必死になって聴いた記憶も無い。なのに知っているのは何故だろうか?名曲と言われる理由はそういうところにもあるのだろう。

しかしこの曲の我々が聴き慣れているバージョンは、実はサイモンとガーファンクルが知らないうちに作られたものだったという。ファースト・アルバムに収録されていたこの曲のアコースティック・バージョン(これもアコースティックと言えばそうなのだが)に、プロデューサーが勝手にバンドの音をオーバーダビングさせて発売したらしいのである。それが大ヒットしたバージョンというわけなのだった。そのバンドの音とは、ボブ・ディランのアルバム「Like A Rolling Stone」のために集まっていたミュージシャン達の音とのこと。今ではそういうことはあり得ないだろうが、昔は信じられない話が本当に多かったようだ。バンド名を勝手に変えられたり、アーティスト本人の知らないオリジナル・アルバムが出ていたり。アーティストにとって不利な契約や、そもそも契約など無視したところでの出来事だったりもしたらしい。

ファースト・アルバムが全く売れなかったため、その1枚きりでS&Gは解散する予定だったとのこと。事実、ポール・サイモンはファースト・アルバムの後にソロ・アルバムをリリースしている。そういうつもりでいた矢先のこの曲の大ヒット。当初勝手にアレンジをいじられ、勝手にリリースされたことに対してポールはかなり怒っていたらしいのだが、今にしてみればそれが今日のS&Gの伝説につながっているわけで、今となってはその不条理に感謝しているのではないだろうか。当時のプロデューサーはそれほどまでにS&Gの魅力にとり憑かれていたということなのだろう。心からアーティストの音楽を愛してくれるスタッフとは本当に有り難いものである。

結局S&Gは1970年に解散したのだが、最後の「明日に掛ける橋」の頃は2人の関係は相当な険悪状態だったらしい。グループの解散とはそんなものなのかもしれないが、それでも時間が経てばまた一緒にやっていたりするから不思議。共に歴史を築き上げてきた仲間にしか判らない何かがあるのだろう。しかしもっとクールに言えば、ただ単にビジネスとしてのことでもあるのだろうが。

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2009年6月 5日 (金)

Mainstreet (Bob Seger)

1976年のアルバム「Night Moves」に収録されているバラード。アルバムは当然の如くヒット作となったが、この曲も翌年の77年にシングル・カットされ全米24位のヒットとなった。

夕暮れ時になるとこの曲を聴きたくなるという人も多いのではないだろうか。何とも言えない倦怠感というか、喪失感というか、そんな少々メランコリックな時に、この曲は頭の中で勝手にリプレイし続ける。アメリカのロック・ミュージックでありながら、ここまで郷愁を誘う曲はないだろう。この曲は私の琴線に触れまくっているのである。

この曲のタイトルは「メインストリート」だが、サウンドから受けるイメージは「バックストリート」である。それもそのはず、ボブはこの曲のイメージを「自分が生まれ育ったアン・アーバー(ミシガン州)のアン通りだ」と語っていた。その辺りに私がボブの曲に反応する理由があるのかもしれない。いわゆる都会育ちではない地方都市出身者には、都会への憧れと期待感が人一倍強いように思うから。そんな感覚はアメリカでも日本でも変わらないのだろう。

この曲の主人公は生まれ育った町のメインストリートを回想している。そして「今でも寂しく疲れ果てた時に、あの頃に戻ってメインストリートに行きたくなるのさ」と歌われている。そう、この感覚。これが郷愁でなくて何なのであろうか。初めてこの曲を聴いた時は輸入盤だったので対訳は無かったのだが、ベスト盤を日本盤で買った時に対訳を読んだらまさに私のイメージした通りだった。サウンドが言葉を伝える。その時、音楽とはそういうものなのだと改めて思った。音楽、特にポップ・ミュージックとは総合力。歌が上手ければ良いというものではない。時にサウンドが、時にメロディーが語りかけてくることもあるのだ。

この時代のギターの音には何とも言えない良さがある。ベタ付けするつもりでもベタ付けにならず、適度な膨らみがあるという感じだ。今ならこういう処理の仕方にはならないだろう。言い換えればそれはそのままの音であるということ。自分のイメージした音をアンプで作り、それを録音するというのはしごく当たり前のことであるのだが、編集技術が進んだ現代では「とりあえず」というものも存在する。それは一長一短あるので必ずしも批判の対象になるということではないのだが、その集中力は今とは比べられないものであるのは確かだろう。尤も、その当時もそれ以前とは比べられないほどの技術進歩があったわけで、そういう意味ではポップ・ミュージックの進化とはテクノロジーの進化であるとも言える。そんな進化の中に、アーティストとしての自分の歴史を刻める人は幸せだ。ボブもそんな一人。しかしそれは、アーティストという枠を外せば誰にでも言えること。多くの人の歴史と思い出は、テクノロジーの発達の下に刻まれてゆくのだ。

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2009年5月26日 (火)

Take My Breath Away (Berlin)

1986年に全米1位を記録した大ヒット曲。バンド名と原題のタイトルではイメージが湧かない人もいるかもしれないが、曲を聴けば一目(一聴)瞭然だろう。この曲はあの大ヒット映画「トップガン」の愛のテーマ、「愛は吐息のように」である。

「ベルリン」というバンド名を考えると当然の如くドイツのバンドだと思われがちだが、実はれっきとしたアメリカの、しかもロサンゼルスのバンドなのだ。未だにドイツのバンドとされがちであるが、間違いなくアメリカ産なのである。

この曲のヒットの背景には間違いなく映画のヒットがあるわけだが、この大ヒットが必ずしもバンドのステップ・アップにはならなかったようだ。この次のシングル「Like Flames」は2ヶ月後にリリースされたのだが何とビルボード最高位82位。全米ナンバーワンの次のシングルである。数多くのアーティストがいる中で、トップ100以内に入れることは確かに凄いことであるかもしれないが、さすがに全米ナンバーワンの次のシングルでこの落差はあまりに酷い。少々酷な言い方をすれば、あの映画の曲であれば誰が歌ってもそれなりのヒットになっていたということなのかもしれない。しかしこのメロディー、このサウンドは間違いなくベルリンにしか出来なかったものだと思う。

この曲で披露されているサウンドは80年代そのもの。核と言っても良いほどのシンセ・ベースは「キング・オブ・シンセ・ベース」であると断言したい。これはもうあの時代だから出来たようなもので、今現在スタンダードになっているとは言わないが、このような音を好んで使っているミュージシャンも多いのではないだろうか。シンセサイザーは完全デジタル機も既にあったわけだが、アナログもまだまだ使われていた時代だった。この分厚い音はモーグのようなアナログ・シンセサイザーではないだろうか。
また、2コーラス目のAメロから始まるシンセのコード・バッキングはThe Carsの「Drive」を彷彿させるもの。ひょっとしたら「あんな感じで」という注文があったのかもしれない。「Drive」はシンセサイザーで構築された名曲であり、曲全体の雰囲気も似ていないことも無い。曲を作る上で何となくそのイメージもあったのだろう。

バンドはこの曲の大ヒットの後、しばらくして解散してしまう。大ヒットが引き起こした解散だと言われている。売れない時は「売れてやる!」という一点だけで団結出来るのであるが、ヒットすると次へのプレッシャーがあったりメンバーそれぞれの新しい思惑が生まれてきたりして、なかなか意思統一が出来なくなるようだ。同じメンバーで長くバンドを続けるというのはこの上なく難儀なことなのである。

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2009年5月22日 (金)

流浪の工員 (渡邉大輔)

2009年のアルバム「Rock Gentleman」に収録されている曲。

このアルバムを作るにあたり、アコースティック編成の曲を1曲収録したいと考えていた。この曲はそんなコンセプトから作り始めた曲だったのだが、最後までアコースティックにするかエレクトリックにするか悩んだ曲になってしまった。結果的には当初の考え通りアコースティックになったわけだが、エレクトリックで超ハードロックにしても正解だったと思う。歌詞のコンセプトからみてもどちらでも合う世界であるし、ドロドロした世界観はどんなサウンドでも表現出来る自信があったから。しかし今回はアコースティックで正解だったかもしれない。アルバム全体のバランスから見てもこのアレンジが必要だったのではないだろうか。

アコースティックでのサウンドのイメージは、ビートルズの「Baby You Can Drive My Car」をアコースティック・ギターでアルフィーの坂崎幸之助氏が弾いているイメージ。バンドのノリをアコースティック・ギター特有のノリで表現するというか・・・。言葉にするのは難しいのだが、バンド全体のフレーズをアコースティック・ギターで所々表現する、みたいな感じ。もちろんプレイ的に坂崎さんの足元にも及ばないとしても、そもそもはそんなイメージがあったのだった。

歌詞は昨今問題になっている「派遣社員」の待遇について歌っている。元々は秋葉原での通り魔殺人事件について友人と話している時にイメージが浮かんだもの。あの事件ではご承知の通り被疑者の就労における背景などもクローズ・アップされたのだが、話をしていた友人曰く「派遣社員の実状は(被疑者の言うことと)同じようなものがあるよ」とのこと。もちろんだからと言って許されるはずもないのだが、それは事件とは別に無視出来ないものであり、考えなくてはならないものだと思ったのだ。人は「労働」というものによって社会と接点を持っているのだとすれば、そこでの待遇がその人間の価値評価を表しているということになる。もちろんそれだけでは無いにしても、少なくとも長い間教育を受けているのはそこに辿り着くためであるということでもあるはずである。ではそこからあぶれた者には価値が無いということなのか。成果主義の行き着く先は結局のところそういうことになってしまう。そんな労働者側の鬱積した気持ちを歌ったのがこの曲なのであった。

しかし今となっては、仕事があるだけ幸せだという時代になってしまった。曲を作ってから僅か1年でここまで変わるとは思わなかった。そういう意味ではこの歌の主人公には甘えがある。しかし本当にそうだろうか。それでは何のために長い間教育を受け、ある程度の知識を得なければならなかったのか。教育の行き着く先が労働では無いとしても、実際には教育を受けたというキャリアが就労のための保険になってしまっているような側面はある。突き詰めればやはり教育問題。それは個人の在り方ではなく、この国家に漂う基本的な理念の問題なのである。

社会風刺的なものについて異論を唱える人もいるだろうが、私は敢えてそういう世界を歌っていきたいと思っている。それは歌で社会を変えたいなどという大仰なことではなく、理屈で説明することなど出来ない一人の人間の欲求なのだ。そういった音楽に心を惹かれるというただそれだけのこと。そこから色々なことを考え始めて、音楽家ではない一個人としての人生哲学のようなものを見つけられればと思う。私が音楽を自分から聴くようになった時、傍にあった音楽はみんなそんな感じだった。逆に言うと、そうした自分なりの何らかの主張を持ったアーティストの音楽が好きだったのである。

自分のそうした主張が多くの人を惹きつけることが出来るかどうかは自分では判らないが、やはり私にとって音楽とはそういうものでありたいと思う。クラスの人気者がギターを持って歌ったら大喝采を浴びた、というようなサクセス・ストーリーとは違う種類の音楽が私の音楽なのである。

この曲はそんな私の全く変わらない部分を示した曲。これまでも、そしてこれからもそういう歌を歌いたいという気持ちの表れなのかもしれない。アルバムの中にあっては非常に地味な存在の曲であるが、心情的には重要な1曲なのだ。

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