訃報 マイケル・ジャクソン
そのニュースを知った時、「もう世代交代の時なのかもしれない」と思った。
アルバム「スリラー」の大ヒットは俺が中学1年の時。
そんな俺が来年40歳になるというのだから、そういう時が来てもおかしくないと思ったのだ。
「マイケル・ジャクソンさん、享年50歳」
えっ?ラジオの声に驚いた。
まだ50歳だったのか・・・。じゃあ80年代の大ブレイク時は20歳そこそこだったというわけか?
そんなことを感じさせないあの貫禄は、単に子供の頃から活動しているというキャリアだけではなかったのだろう。やはりマイケルは早熟な天才だったのだ。その人生の密度は一般的な人の何十倍のものであったはず。それが良いか悪いかは別としても。
彼の音楽性は黒人音楽であったR&Bをポップスという新しいものに昇華した、と言われる。・・・・そんな小難しいことは解らない。それでも言えることは、ポップ・ミュージックというものをごく一般の人達に広めたという功績は大きい。理屈っぽい人達を相手に楽しませるものではなく、「音楽のことはよく解らないけど・・・」という人達をも巻き込んだということだ。それこそがポップ・ミュージックのあるべき姿。特に音楽ファンでは無い人達でも彼の歌が思い出と共に記憶に刻まれたということこそ、「King of Pops」たる所以なのだ。
マイケルのことを「ミュージシャン」と呼ぶ人は少ないと思う。「アーティスト」と呼ぶ人はいるだろう。彼はもちろん「ミュージシャン」でも「アーティスト」でもあったのだと思うのだが、一番相応しいのは、少々古い言い方ではあるが「スター」ということではないだろうか。彼自身、そこを目指していた節はあると思う。それ故に近年は音楽的なことよりも個人的なことで騒がれることが多く心労を極めていたと思うのだが、それを背負えるのもスターであったからこそ。それは選ばれた人にしか背負えないもの。スターとはそれをもを話題に変えてしまう才能の持ち主のことを言うのだ。
俺にとってマイケルは当然の如く身近な人ではない。この世から居なくなったと言われても、考えてみればこれまでも本当に存在していたのかも判然としなかったりする。スターというものはそういう存在なのだ。だからこそ陳腐な言い方で恥ずかしいが、「心の中で生き続ける」というのは恐らく真実なのだと思う。事実、残した作品は永遠に聴かれ続けるだろうし、公になっていない音源その他もあるだろうし。それをまたそれぞれの日常に組み込んで人は生き続けるのだ。
ファンの人達は今は悲しみにくれているだろうが、それはその後「ありがとう」という気持ちに変わるだろう。「ありがとう」、良い言葉だ。そんな言葉を見ず知らずの人にかけてもらえるマイケルは幸せだったと思う。50年の人生は多くの人達に施しを与える「修行」のようなものだったのかもしれない。これからはゆっくりと自分のために―。










最近のコメント